七火狐

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 山平について街中で噂話が広がっている、運良く見つけられた山平は病院に運ばれて重体となってはいるけれど生きているらしい。
 悪運が強いようで死なずに重体で入院となった。
「あれで死なないとは本当にこの世は嫌だ」
 それでも二度と私の近くへは来ないはず。
「……身の回りには少し気を付けておいた方がいいかもしれない」
 前々から警戒心は強かったけれど、今以上に閉ざして。

 もっとも今すぐに尻尾を掴まれると言うことは無さそうだ。
「被害を受けた本人や目撃したあの男たちも当時の状況を説明出来ないからね」
 どうやらこの街の間では山平の傷は「妖しの仕業」として広まっているようだった。昨日散らした男たちが憶測でものを言うものの、自分たちの悪行未遂が発覚することを恐れて、そのようにしか言えないのだろう。
 ある類の「怪談話」として広まるようだ。
 この話を聞いた三桜が「流石ですね七桜姉さん」と私を褒めた。
「……あまり褒められたことでもないのにね」
 悪いことを叱られないで生きていると、善悪の平衡感覚が狂いだす。
「悪漢を倒したのだから確かに褒めれれて然るべき」
 こうして心は淀むばかり、感情を濁して日々を過ごす。
 一度でいいから澄み切ったものを見てみたい、透明な硝子の雨の振る日を。それはこの世の中に存在するのだろうか。
「ロマンを持ったエゴイストだね、私は」
 きっとロマンとエゴは今や我が物顔でこの街の溢れているのだろう、至るところに。その二つはどういうわけか「東京」と言う街の支配者のようだ。人も妖しも誰しもが逆らえないのだろう。この街に住むと言うのなら、おそらくこの先百年は。

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「昨日のことを引きずっていないと良いのだけど」
 ――そう、私の方が。
 その日に待ち合わせた場所は雑踏の中、もっと静かな場所にすれば良かったと少し後悔した。彼は少し人混みの中で苦しそうだ。更に私は待ち合わせ時間をわざと遅らせて来た、反省しているようなフリをした。
「すみません、少し遅れてしまったようです」
「ええ、僕も今来たところです」
 彼のその言葉も嘘だ。日差しは強く地面を照り付ける。
 それは八月最後の日で厳しいもの、ずっと待っていた彼は少し弱っていた。
 あの日以来、どうしてか彼のことが気になった。
 あの日「何もない」と言った言葉が「嘘」だと気付いて欲しいのだろうか。一つ確かなことは少しばかりの興味と執着があること。仮にも付き合っているのだから、それは正常なことなのかもしれない。

 そんなことを考えながら、とりあえず二人で歩き始める。
「ところで今日は何処へ向かうのですか」
「では今話題の写真展へ行きましょうか」
 向かった先は白と黒で出来た写真展、何処の国かは分からないけれど西欧の写真だろう。昨今の西洋への嫉妬に似た憧れは知っている。現に向こうの方が現時点では遥かに優れている。異国の雰囲気を感じた後はもう昼過ぎだった。
 まだまだ沈みそうにない太陽の光の下。
 人混みを避けて何もない川沿いの道を二人で並んで歩く。
「異国の写真とは魔力を持っているかのようですね。しかし、僕はあまり外を出歩く機会がなかったので、こうして二人で歩いているだけで楽しいものですが、七桜さんは今、退屈を感じてはいないですか」
「いえ、そんなことはないですよ。私もこうして静かにしたいと願っていたので」

 言葉の尾から分かることは「やはり彼は体調が悪い」と言うこと。
 こうして一緒に街中を歩く時にも具合が悪そうな時があった。
 そしてそれはいずれ彼を「死」に居たらしめる理由なのだと。
 死が近くになっても、彼は私との約束を破ることはなかった。本当を言えば破って欲しいと奥底で願いながらわざと無理なことを言ったりもした。
 ――愛しかないと思わないために。

 時には呼ぶだけ呼んで、何もしないで帰ることさえある。
 それでも彼は「さよなら」と言う言葉は決して言わない。
 試していた「彼も私の期待を裏切るのか」と、その人の価値を計る。それはある種の楽しさにも似ていて、同時に私自身の酷さを思い知る。今までだって人の精気を奪い、命さえ奪い取ってきた。人は簡単に死ぬものだから

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「では、今日はこの辺りで失礼します」
「ええ、気を付けて帰ってください。それでは明後日にまた会いましょう」
 何時も駅前で分かれているせいで、彼は私が「遠くの街」に住んでいると思っているようだった。実際は電車には乗らず私はこの街で過ごしている。

 彼と分かれて一人になると悪癖の一人言を口に出している。
「誰もが最期には死を怖がり、見苦しいものに成ってしまう」
 今までは私が直接手を下してきた。
 だけど彼の場合は私が何かをするまでもなくその時は訪れるだろう。その時は彼も死を恐れ、弱さを表に出すはずだ。その時こそ彼に見切りを付けて魂を奪い取る機会。私は何時だってそうやって生きてきた。
 そうすることで、私は「命を奪うこと」の心の負担を軽くした。
 本当は命に優劣や上下などは付けるべきでない。
「……私はもはや妖しですらないのかもしれない。妖しより、もっと「おぞましい」そんな存在に近づこうとしているのだろう。だけど今回は手を汚さずに済みそう。時が自然に彼との永久の別れを運ぶのだから」
 この気持ちをそんな言葉で誤魔化そうとしていた。

 その後も私たち二人の付き合いは続いていくことになる。
 ただ何処かへ一緒へ出かけたり、もしくは他愛も無い会話をしたりなどといった子供のような付き合い方。それだけ見れば今までの派手な言葉のお世辞や、金銭感覚を伴った富豪からの贈り物に見劣りはするのかもしれない。
「だけど……おそらく」
 今までのどの付き合いより私を知ってもらっている。
 そして私も彼について幾ばくか知っていく。
 全てではないけれど、少し彼に近づいてしまったような気がした。そのことを「しまった」と思ったことも事実だった。この世界中の誰にも肩入れはしない主義が、少しばかり肩を入れてしまったようだった。

 それは忘れたものを拾い上げて行くような。
「ふと心に過ぎった「この感情」は何だったかな……」
 考えてみれば目的や企みもなく誰かと街を歩くことは、何時以来だろう。もう忘れてしまうほど長くしていなかった。



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