Retro Chocolatte

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「いらっしゃませ、おみくじは一回100円になります」
 神社の境内、私は建物の中に居る。
 目の前には硝子窓、手元には絵馬やおみくじ。
 私は神社関係者としてここで巫女の格好で、関連商品のお会計をする役割だった、宮司の母親は何時もは奥に居る。
 父親は普通のサラリーマンで神社の事柄にはそれほど関わらない。
 他に古くからのお手伝いさんが二人。
 私を含めて実質4名で神社は営業されている。
「800円のお釣りになります、ありがとうございました」

 正月を過ぎて、それぞれが生活へと溶けこんでいった1月の中旬。
 木々の枝には葉は残っていない。
 澄んだ冷たい風が吹き抜ける参拝道。
「愛染撫子神社」の「宮司」が私の家。
 神社自体は古くからある特に特徴のない平凡なものだけど、それなりに広さはある。その中に絵馬やおみくじなどを売る販売所があって、私はそこに座っている。優しい木目で暖房器具で温かい売り場。
 対人関係も少しの問題はあるものの良好な方だろう。
 基本的に大きなトラブルは特になく、買いたいと言うお客がいたら売るだけの簡単な作業。クレーマーなどは「自分で対処せずに周りの大人を呼びなさい」と言われていて、必ず二人体制で神社は営業されている。
 繁忙期以外で二名以上にならないあたりは人件費削減だ。

 下町、主に風情を求めた外国人観光客が赤い絵馬や、おみくじ、赤い小さな鳥居、木で出来た狐のお面などを買っていく。縁結び、縁切り、それと商売繁盛から学業成就、交通安全まで稲荷神社は万能型だ。
 もっとも、信仰を辞めた時に「祟り」があるらしいけれど。
 詳しくは私はまだ知らない。
 向こうから一人の男の子が歩いてくる。
 歩き慣れたように、よそ見をしながらもまっすぐこっちへ向かってきて「よっ」と挨拶してから私に馴れ馴れしく話しかける。
「外人さんばっかなのな、平日も休日も」
「御子柴、何しにきたんだ」
「何って、別に。ただ時間が空いたからふらっと立ち寄っただけ」
 こいつは「御子柴 誠」私の幼馴染だった。
 背はそれほど高くなく170くらい、顔立ちは良い方でバスケ部の中心選手。たまに暇つぶしなのかここに立ち寄る。大抵は何も買わずに、もしくはおみくじを一回引いて行くだけの信仰心皆無な奴だ。

 ・・・・・・・・・・

「神社って「成り立つ」ところが凄いよなって何時も思うよ」
 確かに少しの興味はあるみたいだけど「冷やかし」だろう。
「愛染の「巫女さん」も「売り子」だろ。お守りとか売るくらいなんだし、それに売れてんのって下町観光の外人さんばっかじゃないの」
「いいじゃないか、日本の文化が評価されてる証だろう」
「日本人だって神社の意味とか一切知らないやつばかりなのに、表面上で「伝統が好きです」とか「素敵」とかって言う」
「それ、外国で評価うんぬんの話と繋がっていないだろ」
「まあね、全っ然関係ないけど思い浮かんだから、口に出しただけ。話してて思い出した疑問なんだけど」
 御子柴は私の白と紫の巫女装束を指さして、当然の疑問。
「何で巫女装束が「紫」なの?」
「理由なんて何だっていいだろ、冷やかしなら帰れよ」
 前々からよく聞かれる質問の一つでもある。
「一応言っておくけれど紫は高貴な色なんだ」
「ふーん……でも赤とかの方が「それらしい」んじゃないの、外人受けするし」
「そうかもしれないが、そんな理由で変えられるわけないだろ、うちは代々「紫」を使っていた、それだけの理由。冷やかしなら他所へ行ってくれ」
「じゃあ、おみくじ一回」
「……一回、100円だ」
「知ってるって」
 100円玉を受け取って御子柴におみくじ箱を手渡すと、ぱっと引いて「末吉だ」と言って簡単に言った。今日はそれで御子柴は帰っていく。
「何しに来てんだろ、あいつは……」

 ・・・・・・・・・・

「思ったより遅くなったな。もう7時か……早く帰ろう……」
 帰り道を歩く時に、この町の風景を何時も見ている。
 この街には古いものが多く残っている。
 何百年前から、もしくは昭和に入ってからのものも含めて「日本らしさ」だ。ただそれが何時の間にや「アンマッチ」になるもの、そうではなく今もなお町の「らしさ」となっているものと、生存競争になっている。
 神社はこの町では重要な「観光資源」だった。
「うちみたいな全国区じゃない神社でも、浅草が近いから、外国人がこっちまで足を運んでくれて何とかやっていける時代だ」
 少し前、もっとも私の生まれる前だけど。
 採算が取れずに「もう取り壊そうか」と言う意見もあったと聞く。
 そんな話を真面目にしていた理由は「経済的な事情」に他ならない。
 それが空港に置いてある外国人向けの「観光マップ」の隅に乗ると、急に外国人客が増え、そしてインターネットの普及にも助けられた。一ヶ月に訪れる参拝客が一定数に達して、今も続けていくことが出来ている。
「古くからのものも、他所へ情報発信しないと生き残れない」

 よその神社は「プライベートブランド商品」を委託先と提携して「通信販売」していたりと、うちの神社も、もう少し経営基盤を強くしないといけない。そう常日頃に大人たちは言うしお金は大事だと私も思う。
 私は我が家に帰ってきた。
 木造二階建ての、狭い路地に位置する下町の我が家。
 鍵を開けてガラガラと引き戸の玄関を開けて玄関の電気を点ける。
 ぱっと雑多な我が家が映しだされて、私はほっと一息ついて用意されている夕飯を食べようと台所へ向かうのだった。



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