『――例えばどんな最期を望んでいるのですか』
女性はそう言って彼女を見た。
青い月明かりに照らされた白い肌と薄いキャミソール。それが闇の中に綺麗に浮かび上がっている。暗闇では見えにくいけれどその背中には確かに羽があった。もっとも白い羽ではなくてコウモリのような黒い羽が。
聞かれた彼女は何処か冷めた笑みを浮かべながら皮肉を。
「そうね。生温い糖蜜に浸かって死ねるなら素敵かもしれない」
「随分と人間滲みた言葉を言うのですね、サライ様」
サライと呼ばれた彼女は絶えず笑みを浮かべていた。
「私みたいな吸血鬼が、そんな最期を願うことは許されないのかしら」
サライは雰囲気に何処か幼さを残している。その顔や体つきが何処か幼さを人に感じさせるけれど仕草や言葉だけは大人だった、その体と心の非対称が魅力的で。今宵の相手は甘い関係の女性、ベッドの上で微温い会話を続ける。
「いいえ、何だかとてもサライ様らしくて素敵です」
「そうかしら。どんなところが」
「――甘さが抜けきらない様が」
そう言ったサライの今宵の相手は修道女のようだった。罪深きは人の「生と性」サライがその首筋に歯を立てると血が肌に滲んだ。二人は快楽に溺れる関係性でその手に持っていた十字架が指先から床へと落ちる。
「ここは修道院でしょう、あなたも罪深いわね」
「サライ様と一緒に居る時はどうでもよくなってしまうから」
部屋の窓から海が見えた。静かな青い月の夜に灯台の灯りが見える。この質素な土に住む人々は僅かに食事を食べて、この教会で僅かに祈りを捧げて生きている。その裏側に隠れた側にサライは住んでいた。
彼女は住む場所に追われ時に迫害されながらこの辺境まで流れ着いてきた。
彼女は人々の言う「呪われた魂」を抱えて生きている。
ボロボロになった黒い羽、瞳の奥に隠した深紅。
瞳だけ成熟して、心はまだ頼りなく何千という月日が流れてもまだ――心だけが消しきれずにいた。吸血鬼であろうと彼女の心は繊細で弱いままだった。
次の日にサライは自分のベッドの上で目を覚ました。記憶が曖昧だけど昨日のうちに帰ってきたようだった。荒廃した部屋の中を見渡す。朽ちた床の散乱した部屋の中には隙間風が流れる。サライは廃墟の中に住んでいた。
特にやることもない日中は無気力に過ごす。
「今日はダリアと遊んであげる気が起きない」
彼女にはダリアという妹がいた。妹の遊び相手は時折するけれど、最近はずっとそうする気が起きずにベッドに横になったままだった。
何をしても付き纏う気怠さは何時ものことだ。
「今日は何故か喉も乾いてないから一日中家に居ようかしら」
そう思っていてもどうやら許されないようだ、夜だというのに騒々しくなったから。家の玄関の扉が壊される音と部屋の前で怒鳴り声が聞こえる。
「また「裏切られたみたい」昨日はあんなに甘い台詞を言っていたのに」
そして部屋の扉が暴力的にこじ開けられた。武器を手にした大勢の人間たちが部屋の中に土足で踏み入って来た。彼らは何も知らない村人や近隣の人々、それと少し遅れて聖書を持った神父が。総勢で十数人この場に集まっていた。
「汚れた靴で部屋に入ってくるなんてそれは酷いじゃない。昨日掃除したのよ」
サライが予想外に落ち着いていたことに人は戸惑っていた。
それでも厳格な口調で聖書を持った神父がサライに宣った。
「汚れし存在、呪われし吸血鬼よ。今すぐにこの土地を立ち去りなさい。これが最初で最後の警告です、我々には神の加護がある」
サライは薄いキャミソール姿で座ったままで呟いた。
「呪われし吸血鬼ね。私だって好きで呪われたんじゃないわ、あなたたちが勝手に決めた生まれの差に過ぎないじゃない。相手をしたって負ける気はしないけれど、無意味に血を見るのは好きじゃない。明日にでも出ていくから安心して」
その時に誰かが叫んだ。
「そんな言葉を信じられるか――吸血鬼め」
その声は広がって次第にサライに対して明確な殺意を持った言葉に変わっていく。そう言った言葉は「愛の言葉」と同じように聞き飽きていた。
誰かが石を投げた、それが誰なのかは分からなかった。
サライは自分の部屋の奥の扉を一度見た。
その扉のその先には妹が居る。誰かがその先へ行こうとするなら殺すつもりでいた。心から愛しいと思える妹のためならこの手を赤く染めても構わないと。それでもサライは不要の争いを避けるために問いかけた。
「あなたたちの目的は何だったの。私の方から素直に「出て行く」と言ったのに」
まだ冷静だった神父が落ち着いた口調で彼らを制止した。
「その言葉に偽りはないですね」
「ええ、明日中には出ていくわ」
「それを今、私たちの神の前で誓えますか」
「それは誓えないわ。あなた方とは信じるモノが違うから易々と誓えない」
改めて彼らを見るとその中に昨日の彼女の姿を見つける。
修道服を身を纏いまるで無関係のように一番遠くに居る。
サライが彼女をひと睨みすると彼女は手の十字架を強く握った。サライはその視線を空白へと逸らした。神父は皆をなだめて「それでは明日までに」とサライに言った。納得のいかない彼らだが神父が言うならと引き上げていく。
サライは一人で呟いた。
「あなたたちは、もっと隣人を愛すべきなのよ……」
「とにかくすぐにでも荷造りを始めないといけない。荷物はほとんどないけれど」
彼女には行く宛てはない。それにもう生きる気力も薄れてきている。
それでも死ねない理由が一つあった。
――吸血鬼は川を渡れないと言う迷信を信じていたから。
例え死んでも一人で川辺に残されたままで、何処へも行けない。帰る場所が無いのなら自分から死のうとは思えなかった。人は川を渡って向こう岸へ――元ある場所へ帰ることが出来るけれど吸血鬼はそれが出来ない。
死んで救われることは決してないと言うこと。
だから今日もサライは最低な気分をぶら下げて生きていた。