GHOST PICTURES

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 幽霊になった俺は記憶の中にいる。
 此処は過去の世界。少し前の「俺の記憶の中の世界」だった。
 今、俺が見てるのは俺自身。生きてた頃の俺を、幽霊の俺が眺めている。

 ・・・・・・・・・・

 俺が駅の表通りを歩きながら街を見渡してる。そして、ため息を一つ吐く。
 7月中頃。たまに涼しい日もある。俺が下校中の小学生の群れに襲われていた。
『可愛い猫さん。黒猫って不吉なんだよね』
 俺が無数の手をかわして、裏通りへ逃げる。俺が愚痴を言う。
「何でもかんでも「可愛い」で片づける精神が嫌いだね、俺は」
 そんな奴らに触れられたくない「気持ち悪い」と、当時は思っていたんだ。

「今日はここを通りたくなかった。あいつはうるさいから……」
 路地裏で、出会ったのは真黒いカラス。カラスはゴミ箱を漁るのを止めた。
「今日もつまらなそうな顔しているな。イーヴァ、何か話そうぜ」
「お前ほどじゃないぜ、くそカラス。疲れてんだ、話しかけんな」
 このカラスはよく俺に話しかけていた。話好きなカラスだった。俺は文句を言いながらも、よく話に付き合っていた。ただこの日は疲れていて話す気にはなれそうになくて。背を向けてカラスの前から立ち去ろうとする。
「イーヴァ、何処に向かっているんだ?」
「家に帰るんだよ。疲れてんだ」

 カラスは、俺にその気がないと分かるとゴミを漁る作業に戻った。
 帰る途中で、ゴミを漁るノラを見た。俺が「ああ嫌だ」と言った。
「汚くて、弱々しい。同じ猫なのにこの違い。カラスの真似事……か」
 別に望んでノラになっているわけでもない。奴のせいじゃない。だけど俺は目を逸らした。そして嫌なものを見た気持ちになってた。
「あんな風に生きるなんて惨めだし、俺は出来ない」
 生まれた時から飼われていたんだ、部屋の中で。俺の努力じゃないけど。

 アパートの一室。一階の端。ベランダがある。小奇麗な部屋だった。いつも綺麗で清潔だ。異常だと思うくらい。でも居心地は良い。落ち着いた色の家具が。
 あの男は今日も小さい置物を買って帰ってきた。赤い犬。
 木製の棚の上に置いていろんな角度から眺める。
「そうか……これは色彩的にあまり合わないのか」

 この男は将来、デザイン会社に勤めたいと言う。夢が叶うかは分からないが、俺の部屋を綺麗にしてくれるから俺は楽だった。この部屋で暮らしているのは俺とこの男。
「これはルームシェア……いや、格好つけるのは止めておくか」
 正直に言うとこの男に飼われている。ただの飼い猫。
「一匹じゃ生きていけないぜ、特に今の世の中は……」
 ゴミを漁るくらいなら死んだ方が良い。温室育ちの俺は、苦労は知らなかった。
 この部屋はこの男の実験室。俺もそう言う意味で飼われ始めたんだ。
『部屋に黒猫がいるのが良いと思った。デザイン的な理由で』
 そう以前に呟いた事がある。俺は別にどんな理由でもいい。

 俺の名前はイーヴァ。黒猫。オス。
 怠惰な暮らしに馴染むこの頃。何処にでもいる卑怯な猫だった。食べる物は用意されて容易に手に入る。飲み物だって安全だ。眠る場所も、用意されている。俺の体からすれば家の中は広い、十分。強いて言うなら、刺激が足りない。
 それでも平均より上の暮らしが出来てる。贅沢な悩みだった。

「ほら、猫缶やるから来いよ、イーヴァ。ツナ缶だ」
 この男の名前はユージ。大学1年生みたいだ。友人の前では強がるが、何てことのない平凡な男。本当のことを話せる相手は、俺くらいだった。何時も、俺にどうでもいい内容の話をする。今日だってそうだった
「今日さ、凄く可愛い子に会ってさ」
 どうやらユージは、あまりモテないみたいだった。
 問題は内面にあると俺は感じている。別に可も不可も無い容姿。
 いつも雑誌や、TVを見て、流行と服装を気にしてる。見た目は悪くない。

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 夜中に、綺麗な部屋の中。窓辺に座っているのは俺だった。
 月明かりに照らされているのは地球儀。よく出来たこの模型。結構な値段だったらしい。俺は知っている。この世界は球体だと。内側に向かって引っ張られている。それは受け売りの知識。俺はインテリな黒猫だった。

「引力だ。俺の体は球体の内側に常に力が加えられている。そしてこの球体に、69億以上の人が溢れている。もっとも俺が振れ合う人は僅かだ。ほんの一握り。俺と出会う人だって、人生で出会う猫は僅かだろう」
 そう思うと少し不思議だ。楽しい。
「まだ知らない出会いはある。不思議だ、楽しい」
 毎日は単調で、単色。だれどそれなりに楽しい日々だった。
 ユージの居ない午後。部屋で一匹、TVを見ている。俺はTVを知っている。バラエティに興味はなくて、ディスカバリー、ヒストリー、サイエンスなど。だから専門チャンネルをよく見る。後、地元のローカル局とか。
 リモコンの使い方はユージを観察して覚えたんだ。
 爪で押してチャンネルを回す。眠い夜中だったな。
「今日は特に何もなさそうだな」
 そんなに興味のない番組を見ているうちに眠った。

 起きた時は4時だった。朝日なのか夕陽なのか惑う。夕方だ。大概空が赤い時は夕方で、青い時は朝方だと判断してる。TVを点けっぱなしで、音と映像が流れている。
『本当に好きだったの、誰よりも、何よりも……』
 特に感情移入もせず。ぼんやりと見ている。
 どうやら妖怪が主人公の恋愛ドラマ。TVの中にシトラスがあった。
 よく知らないが好きな人と別れたようだ。俺は毛づくろいをしてた。

 そう言えば昨日、ユージが熱心に本を読んでいた。滅多に本なんて読まないのにだ。雑誌や漫画は別として。俺は気になったので、その本を探した。
『騙されるな! 日常に溢れる偽物と、闇に隠された真実達』
「……こんな本は読む気にもならないな、本当のところは誰も知れない。テクストの意味だって然りで、俺は俺が見たものを一番信じてる」

 届く範囲が「俺にとっての」世界だ。それ以上でも、それ以下でもない。この部屋から始まって、俺が日帰りで歩ける場所が、全て。自分の感覚を何より信じる。

 猫の友達はいない。同族はやっかいなことを持ってくるから嫌いだった。
 ムカイさんの家の飼い犬のジョン。後は、このカラスが友人だ。
 ジョンは先月死んだから、カラスだけになった。

 何時もは、ゴミ箱の上でカラスと話す。
 何時ものような会話。礼儀の無いこと。
「イーヴァは去勢されてるのか?」
「別に……まあ、言いたいニュアンスは分かるけどな」
 巷では猫の間で性病が流行っているらしい。そんなことを聞いた。
「イーヴァも気をつけろよ。ま、お前は他の猫と違うか。他のノラに至っては、知識もないからな。どうしようもない。別に奴らだけのせいじゃないけど……」
 こんなカラスに同情などされたくない。俺は絶対に病にはなりたくなかった。
「だけど「恋の病」は押さえきれないものだからな……熱病みたいなものだな」
「今、お前、なんて言った? 恋の病だって?」
 俺は思わず笑っていた。こんなカラスが恋について語るから。
「ふは、ロマンチストだな。お前もかかっているの? 恋の病に?」
「馬鹿に出来ない。これは「死の病」だ。殆どの場合が」
 カラスがやけに真面目な顔で言うから、当時の俺は大声で笑ってた。

「お前も一度患えば分かるよ。二度と馬鹿には出来ない」
 それが忠告なのか、負け惜しみなのかまでは知らない。
「俺が恋に落ちるわけない。あり得ないね」
「誰にでも危険はある。例外はない」
 予防すら出来ないとカラスは言う。
「ハハハ、まあ、気をつけておくよ。恋の病か。いいね!」
 今度、日常の会話の中で使いたいワードだった。中々シャレてて面白い。そう思って家に帰る俺を、幽霊の俺が後ろを付いていく。この舐めくさった黒猫の後ろを、幽霊の俺が常に付いて歩く、記憶の中。家に帰って来た。
 窓は何時も鍵が開いている。ユージが言うには「別に問題はない」らしい。
『やられる時は、外側から無理やり開けられるんだ。意味がない』
 それよりは俺が自由に出入り出来るようにした方が良いと言う。ちょっと極論だと感じるが、俺からしたら嬉しいことだったから、何も文句はない。出て行く時と帰ってくる時には、窓を閉める。そうしておけば、文句も出ない。

 俺の後、しばらくして帰ってきたユージは上機嫌で。
「イーヴァ……俺、恋の病になったみたいだ」
 俺は盛大に吹いてしまう。
「……止めろよ、吹いた。知ってるか? 「死の病」らしいぜ」
「ああ、苦しくて死にそうだ……見ろよ、この子なんだけどさ」
 スマホの画像はボヤけている。これじゃあ何処に惹かれたか分からない。見る限りは可愛い容姿には見えるけど、実物はどうだか……どうやら、これだけしか写真はないみたいだった。今日知りあった子だと言う。街中で出会ったと。
「彼女から、俺を誘ったんだ。俺もモテ期入ったのかも」

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 そんな世界に生きてた俺を、幽霊になった俺が見てる。部屋の隅で。時折、感覚がリンクするのは、俺自身のことだからだ。この世界で俺は何も出来ない。既に死んでいるから。ただ記憶の中を彷徨くことだけ。
 意味のない世界。死んでるから仕方ない。
 あの時、ああしてれば、こうしてればと思うことはある。
 だけど、それで過去を変えれることはなくて。分析は無意味だけど……

 幽霊なんて、こんな存在と分かってて、望んで俺は幽霊になりたいと願ったんだ。

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